つれづれ日記

37歳、36歳で第一子出産、育休中。

流産と父のこと

妊娠5ヶ月に入りました。

2回めの妊娠の流産の時、本当になんの前触れもなく心拍と成長が止まっていたのがトラウマで、検診の間には「本当に生きているかしら。次会うまで大丈夫かしら。」と不安になることがあります。

一応4ヶ月の初期流産の時期は過ぎたというのに、やっぱり心のどこかで不安がありますね。

 

わたしが流産宣告を受けたのはおそらく9週ぐらいの頃。

2回めの検診時でした。

6週半ぐらいで受診を受けた私は心拍確認してその後経過的に出

血もないため、流産するかもしれない、ということをすっかり忘れさっていました。

なので、本当に不意打ちだったんですよね。

エコーを見て、医者から「だめだね。」と言われた時も、一瞬なんのことか全く反応出来なかったのでした。

 

 

その後にものすごい悲しみが襲ってきて、でも息子がいる手前びゃんびゃん泣くことも出来ず。

 

 

そして、流産の宣告を受けた日は、脳腫瘍だった父の容態が悪化し入院した日でもありました。

流産宣告をうけて、すぐに父の病院に移動。

 

 

その父の容態を見て、私は直感的にまずいと判断しました。

 

母はどこか気楽にかまえていて、調子の良い悪いを繰り返してるから、今はちょっと風邪を引いて調子が悪いだけ。戻ればまたご飯食べれるようになってうちに帰ってくる、と言っていましたが、わたしには父の容態は厳しくもう時間は短いかもしれない。と思いました。

 

だから、正直流産のことで悲しんでる余裕とか全然なかったんですよね。

 

 

帰ってからはすぐに残り時間の過ごし方を考え、調べ、家に帰すのであれば私も泊まり込むから。協力するから。と伝えました。

 

 

母は医者やケアマネに相談し、結局は病院で看取ることにしましたが、後々この判断は正しくなかったと悔やんでいました。

(ケアマネに場所を移すと悪くなるし、家族の負担も大きいから移さないで病院で看取ったほうがいい。と言われて従ったそうです。)

 

 

父は入院10日後になくなりました。

 

 

私は流産宣告された日からほぼ毎日父の病院に通い、なくなったあとはお葬式の準備等に負われ、すべてが終わった頃、宣告から3週間後に流産出術を行いました。

 

 

手術を受ける頃には、お腹の子がなくなっているのに気がついて、お父さんは道案内を買ってくれたのかなと思うようになりました。

 

 

そう思わずにはいられないほどのタイミングでした。

 

 

 

 

 

 

流産してから2ヶ月後、仕事の休みの区切りがついたタイミングでお寺にお参りに行きました。供養ということは表立ってしませんでしたが、心の中でまた気が向いたら私のお腹の中に戻ってきてね。と伝えてお参りをしました。

 

 

そこから1ヶ月後妊娠がわかり、今に至ります。

あの時の子が戻ってきてくれたのかどうなのかわからないですが、今回は今のところ順調に育ってくれているようでなによりです。

 

 

父の死を迎えてから、私は人の死に方ということをよく考えるようになりました。

今年受けた訃報のたびに、その人の死の迎え方を想像してしまいます。

 

 

 

先日樹木希林さんが自宅で亡くなった時ときき、勝手ながらいろいろと考えてしまいました。

 

 

きっと痛かったはず、辛いこともあったはず。

でもそんな顔をまったく見せずに飄々とされている印象しか与えず。

いつまでも演技者として第一線で。

2週間前までテレビ出演されていて。

なんて軽やかに逝ってしまわれたんだろうかと。

 

そして、最後は希望どおりご自宅で家族に見守られて看取られたと聞いて、本人のご希望通りの看取られかただったんだろうな、、と勝手ながら考えています。